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「投資家と格差社会 資本主義社会は格差を容認する社会」


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資本主義社会は格差を容認する社会


 Hi!ヤッホー!こんにちは。kabuiki1989です。
 先日経済紙をめくっていたら「日本の格差社会」についての特集記事を目にしました。日本人の経済格差は統計的に見ても広がっているのは疑いようもない事実です。資本主義社会が格差を生み出す性質を持つ以上、格差の拡大は避けられないことです。しかし、以前の記事(「なぜいま投資が必要なのか?貯蓄や節約で安定した老後は過去の話!」)にも書きましたが、日本は外国人から見て、国民の経済格差が悲観するほど大きくなく、いわば総中流社会に見えるそうです。
 日本の格差社会の程度は人によって見方が分かれますが、少なくとも資本主義の世の中自体が格差を容認する社会であることは間違いありません。





なぜ資本主義社会は格差を容認するのか?競争を勝ち抜くということは社会に多くを与えるということ


 まず、なぜ我々の生きる資本主義社会は格差を容認するのかについて見てみましょう。
 例えばあなたが会社の社長で、「業務成績の良い人と悪い人の給与格差を是正しましょう。」とはならないはずです。同様に「とある業界No. 1企業が国内市場シェアを独占しており、同業他社が気の毒だからトップ企業を規制しましょう。」とはなりません。何故でしょうか?目を向けるべきは、競争を勝ち抜いている者が、社会により多くのイノベーションや有益なサービス、富を生み出しているという事実です。税金を多く払うのも、外貨を稼ぐのも、競争を勝ち抜いている企業や個人です。格差社会を勝ち抜いている企業や個人を厳しく規制してしまうと、経済を引っ張る者がいなくなり、社会全体が停滞してしまいます。だから、日本経済を引っ張る大企業のビジネスを規制したり重税を課すということを国はやりにくいのです。国の経済を担うトップランナーは自由に走らせ続けなければなりません。他の誰でもなく国家のために。一連の話から、人間社会で多くの報酬を貰えるというのは、裏を返せば社会に対して強い影響を与える仕事をした結果であるということが理解できます。よく自己啓発本に書いてある「お金持ちになりたければ人を幸せにしなさい」とはこういうことです。
 とは言っても日本は民主主義国家であり社会保障のしっかりした国なので、競争に敗れた人を見捨てることは許されません。民主主義の考えに則り、富を再分配して、所得の多い人は税金を多く払い、所得の少ない人には税金を減らしたり、働けない人には生活保護を設けて最低限の暮らしを保証しています。このように、日本では競争に敗れた人が何者の助けもなく野垂れ死ぬということは起こり得ません。 それは民主主義の観点から富を再分配しているからです。「素晴らしい」ですね。
 私が素晴らしいと思うのは、この国ではリスク取り放題だということです。大きなチャレンジをして、大失敗しても、社会が助けてくれるから死ぬことはない。死ぬことはない=生きている限りチャレンジし続けることができる。こんな素晴らしいことって世の中にありますか?


格差社会とは能力を存分に発揮できる社会!チャレンジしよう!


 格差社会とは裏を返せば能力を存分に発揮できる社会ということです。格差が生まれるのは、個々の能力を規制されることなく自由に発揮した結果に他なりません。格差の一番の本質は個人の能力の違いです。格差が生まれて当然なのです。格差を是正するということは、努力や能力に関係なく平等な結果を強制するということです。100点満点の試験で全員にぴったり30点を取るよう強制するようなものです。そんな社会窮屈すぎます。いまの世の中は思いっきり戦うことが許された社会なのです。存分に能力が発揮できるということは、人間の生きる歓び、尊厳そのものではないか?と思うのです。
 このブログの読者のみなさんは、株式投資で資産を築くことを目標としている人も多いと思いますが、この世界では本気で努力してもうまくいかないことが多々あります。「株式投資で数十年かけて資産を作るんだ」なんて熱く語っても、きっと周囲の人達に笑われるでしょう。「どうせ無理」って言われたり「あいつは馬鹿だ」と内心思われるでしょう。今年に入ってからのような下げ相場では「もうやめたほうがいいんじゃない?」と心配されるかもしれません。
 しかし、私は人生において目的を明確に持って戦うこと、チャレンジすることが最も誇り高いことだと知っています。戦って負けるなら本望です。前述した通り、この国は資本主義社会なので経済活動において、自己責任のもとリスク取り放題です。失敗しても、日本社会は最低限度の生活が保証されているため、野垂れ死ぬことはありません。上手くいけば億万長者です。周囲の人はそんなことにも気付かずにリスクを取らず平凡に日々生きています。大きな夢も目標もない者が、日々チャレンジし自分の人生を戦っている人に平気で助言やアドバイスをしようとします。
 「三国志」で有名な曹操をご存知ですか?三国時代の英傑、曹操に纏わるこのような話があります。西暦190年中国、帝を抱え洛陽の都で恐怖政治を行い、権力を振りかざしていた董卓という武将を倒すために、有力諸侯で反董卓連合が組まれました。董卓軍は劣勢になり、洛陽に火を放ち強大な軍を持って長安に遷都しようとします。そこで曹操は追撃の要請を反董卓連合リーダーの袁紹にしますが、袁紹はじめ諸侯はなかなか重い腰をあげません。撤退戦においても董卓軍は非常に強大だったからです。曹操は独断で董卓を追撃しますが、兵力が圧倒的に不足しており、一人敗北してしまいます。
 北方謙三の小説「三国志」には、その戦いの様子を描いた次のようなシーンがあります。董卓に敗北し、反董卓連合の陣営に戻った曹操は、戦わなかった諸侯(反董卓連動の代表メンバー)に向かって次のように言うのでした。

「曹操殿、よく戻られた」
馬を降りた曹操に、袁紹が声をかけた。
「洛陽を焼かれたら負けだ、と袁紹殿は言われた、だからこの戦は負けだ」
しんとした、曹操の声は遠くまで通っているようだ。
「私も負けた、完膚なきまでに負けた。しかし私は戦って負けた。 そして諸君は、闘わずして負けたのだ。私は闘わずして負けた諸君に、決別を告げる」
袁紹の顔が歪んでいる。ほかの諸侯も、ただうつむいていた。
「北方謙三『三国志』より引用」



 

格差社会とは努力が身を結ぶ社会!常に努力を怠らない


 私は常日頃より「電車は社会の縮図である」と考えていますが、車内の風景はとても勉強になります。先日、仕事で朝の通勤電車に乗っていたのですが、二人の20代の若いサラリーマンが並んで席に座っていました。二人はとても対照的に見えました。ひとりはスマホゲームを夢中にプレイしていました。もうひとりは専門書で勉強をしていました。その一瞬の時間を切り取れば、二人のサラリーマンに実力の差のようなものは、ほとんどつかないと思います。しかし、その習慣が日々繰り返されたとしたら、二人のサラリーマンの実力差は取り返しのつかないものになるでしょう。小さな努力も日々積み重ねると、他者には逆転不可能なほどの差ができるのです。
 だから我々は常に努力し、いつでも何か新しいことに取り組む準備を怠ってはならないのです。静かに戦いの準備を進めるのです。

格差社会とはリスクを取る価値がある社会!意味あるリスクを取ろう!


 世の中の漠然としたイメージとして、間の多くの人はリスクを避けようと考え行動します。優秀な人たちでさえリスクを避けることを一番に考える人が多いと感じます。もしくは優秀な人であれが優秀な人であるほど、リスクを避けようとして結果的に目的地に到達できない傾向にあります。学校の教育が良く無いのですが、学校教育は長年リスクが何かも教えぬまま、リスクを避けることだけを教えてきました。リスク込みで「張る」という感覚を子供に教えてこなかったのです。張る」という感覚は国数社理英の五教科では絶対に学べません。しかし、「張る」という感覚は社会で生きるために大切です。「ノーリスクの状態」などビジネスにも自然界にも存在しません。本当に優秀なのであれば、リスクを込み込みで計算していくべきなのです。欲しいものが大きければ大きいほど、リスクを負わざるを得ません。それは世の中の大原則です。
 資本主義社会において、格差が生まれる要因の一つとして、意味あるリスクを取れるかどうかというのがあります。もっと正確に言えば、想定リスクから期待値(リターン)を計算してビジネス化できるかということです。リスクがあれば直ぐ諦めるという人が圧倒的多数の日本社会で、リスクと上手く付き合ってリスクプレミアムを取る人との差が生まれるのは当然と言えます。
 格差社会の話をしましたが、私は概ね日本社会に満足しています。しかし、自分には満足していません。これだけ恵まれた社会なのだからもっと努力できるし、もっとリスクを取れるし、もっと上昇できると思うからです。自分の不遇を社会のせいにするのは簡単です。私は責任の所在は社会ではなく、自分にあると考えています。だから現状を変えるためにやることが多すぎるのです。


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