「株式投資を始めたきっかけ②〜国債は買ったけれど、お金の価値は?〜」 - 株と生きたかった

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「株式投資を始めたきっかけ②〜国債は買ったけれど、お金の価値は?〜」


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個人向け国債を買ってからの平凡な日々


 Hi!ヤッホー!こんにちは。kabuiki1989です。
 国債を買った私ですが、その後の日常には特段大きな変化はなく淡々と穏やかな日々が過ぎていきました。そりゃそうですよね。私が購入した国債は年に二回利子をもらう商品でしたので、言わば高利子の定期預金のようなものです。日々商品自体の価値が変わったり、元本が割れたり、急激に増えるものではありません。私はこれからもまとまった貯金ができたら定期的に個人向け国債を買っていこうと計画していました。




お金とわたし。貯金をして国債を買っても……


 当時の私は「日々会社で働き、無理ない程度の貯金をして、まとまった貯金で国債を買う」ということをこれから死ぬまで繰り返していくのだと漠然と感じていました。
 当時から私は自分一人のことにお金をあまり使わないライフスタイルだったので、メインの出費は交際費くらいで、貯金は順調に増えて生きました。それはお金を使うことで貯金が減ることへの恐れや、「お金がとてつもなく大切だから」という防衛的な感覚があったからはなく、「お金を使うことに対して単に喜びを見出せなかった」というのが正直な所です。
 この感覚は実は幼少期の頃から既にあったものです。私は昔から欲しいものがあまり無かった子供でした。誕生日やクリスマスプレゼントを除いて「あれ買ってこれ買って」と親にねだった記憶がほとんどありません。そんなパーソナリティを持って大人になった私にとって、「国債として預けたまとまったお金」も正直な話、無きゃ無いで生きるのに困るわけじゃなかったのです。日々の節約も必要無いし、国債を買う意味も正直なかったのです。
 そしてある大きな疑念が私の中に生まれました。「自分にとってお金はそんなに必要では無い」ということです。より正確に言えば、「お金と交換できるものに大きな価値を感じない」という表現になります。この感覚、わかる人にはわかるかもしれませんが、周りを見ているとたぶんマイノリティな気がします。

『サラリーマンとして稼ぎ消費する』という経済への貢献


 「お金と交換できるものに大きな価値を感じない」という性質は決して褒められるものではありません。なぜなら資本主義経済の国においては消費行動が我々一般人にできる経済への大きな貢献であり、巡り巡ってGDPを押し上げる一因になっています。消費行動が薄いということは乱暴な言い方ですが、経済への貢献度が希薄であると言えます。銀行に貯蓄したって、国債をいくら積んだって、それが経済への役に立っているようには全く思えませんでした。
 サラリーマンの大きなイベント事のひとつと言えば夏冬のボーナスです。「ボーナスで新しいテレビを買った、車を買い替えた」という友人の話を聞いて、「自分は稼いだお金を一体何に使うのだろう。」と自問し始めました。


サラリーマンとしてお金を稼いで何に使うのだろう?


 大学を卒業し、社会人になって今までとは違い大きな収入を得た私ですが、資本主義経済から取り残されているという感覚が頭の片隅にありました。それに気づいたとき、私の人生は何とも無味乾燥なものに感じられました。私のなかにはどう表現したらいいかわからない「渇き」があったのです。


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